吉田博展

吉田博展に行ってきたよ。実家にあった新聞の宣伝にあった船の絵に、モノクロなのに激烈に心ひかれてしまい、気になってたのです。

もともと知らない名前だったし、帆船の木版画のイメージしかなかったけど、はじめは水彩ばっかり描いてたみたい。のちに油彩も増えてくる。木版画を始めるのはだいぶあとみたいだった。生涯かけて、技術を取り込んだり新しい刺激を得ることをまったくいとわなかった人だった。すごい。しかしやはり木版画への執念を特に感じた。

展覧会では油彩もかなりの数あったんだけど、水彩が根にある人だなあと感じることが多かった。ノーマークだったけど最高に好きな作品にも出会えてよかった。それが「渓流」。川の流れを描いた人は今までにいくらでもいただろうけど、これほど細部まで川というものをとらえた人はいるのだろうか。さわって圧力を感じられそうな、きらめきながら落ちる水と、その先のよどみの表現。圧巻のひとこと。全展を通して、描き手の対象をとらえたいという強い欲望がひしひしと伝わってきた気がする。一方で、建物の縦線がなんだか不安に感じられることもあった(遠近感を考えても平行になってない気がするだとか)ように思う。そのことでむしろ自分の心には彼の絵への信頼が生まれた。そういう論理的正しさにこだわるのではなく、心から出てきた絵を、情緒を描いてるな、と思った。最近、小林秀雄岡潔が雑談するようすを収めた本『人間の建設』を読んで、そういう一節が出てきたのだった。読むとわかるのだが、岡潔は確信していることをしゃべっている。心でそれをわかっているような印象がある。それが分かる、伝わる文章はおもしろい、と小林秀雄は言う。僕もそう思う。たとえ賛同できなくても敬意を払える。その確信が吉田博の絵にも出ている。その人の心から出てきたものには人の心を動かす力も宿るのだと思う。

ナチュラルな木枠の額縁が多くてやさしくてよかったね。そういえば、油彩は額に入ってはいるがたいていむきだしで、絵の前にパーティションがある場合がおおいね。水彩はちゃんとカバーがついてる。カバーがついてる油彩もある。なんでだろ。

おみやげのポストカードはスフィンクス(昼)と帆船(日中)を買った。朝は売り切れ、渓流はなぜかあったかどうかも覚えてない!!でも一番好きになった絵って、ちゃんと頭の中に感覚として残ってるもんだよね。